『3−4X10月』(1990)

さんたいよん エックス じゅうがつ


 

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『3−4X10月』も、それに続く『ソナチネ』にも監督の非凡さを感じるシーンが多い


『3−4X10月』は『ソナチネ』の前哨戦のよう

どちらもほとんど感覚で撮ってる


ストーリーをみているかと思うと、色彩だけで映画を撮っているシーンもある 


いきなりゴッホのような印象派の絵を眺めている感じのシーンが出てきたりする

 

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『ソナチネ』の紅い花を空に放るシーンは綺麗だけれど

それは
 今までも、そしてこれからも、血が流れますよ

というように、紅い花と赤いフリスビーは命を表現しているのか

そして死に際がいちいち鮮やか

みんな生活のリズムが壊れている

時間感覚もないから『3−4X10月』の夢落ちっていうのも違和感がない

 

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どちらの作品も主人公が死ぬ前に予知夢のビジョンがみえるけど、それでも死に向かっていく

 
最後を予期するってたけしらしい

北野作品を観ていると、女は実在で男は出来事だと思えてくる

女は常に現実的で眼にみえることを大事にする


単体で自然に生きていて適応している、無理をしていない

男は社会優先で関係性というフィクションで動いてる


だから男の方が不安定、そしてどんどん消えていく


儚いのは女でなくて、ほんとうは男

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甘ったれなんだけど、甘え許さない状況に放り込まれてあがいていく感じに、

北野監督は他人まかせの頼りない感覚を表現するのがうまい

受動性と能動性のエネルギーがあってどちらも正しい


動く人も動かない人もどっちも全体性の中にいる


どちらが偉いとか間違っているとかではなくて、

どうしようも変えられないエネルギーの流れ


それを感じさせる

『3−4X10月』と『ソナチネ』を観た後は、現実に戻ってこれないような浮遊感がある

 

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