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『Taxi Driver』(1976)


『Taxi Driver』(1976)

なぜ今こういう映画に入っていけたのかはよくわからない

いい映画だけど、観かえすには体力がいる


主人公のトラヴィス(ロバート・デニーロ)は気の弱い童貞の男性で、自分の中の二面性を抑制できない

普段ひとりで通ってるポルノ映画館に、当たり前のようにデートの女性を連れて行ってしまう

 

不眠症である彼は無意識と意識の境界が曖昧で、現実とそうでないものの区別がつかない

心と身体を統合できない

睡眠と無意識の関係が気になる



トラヴィスは自分で行動してるんだけど、行き先は状況任せ

その心の迷走がタクシーの運転に重ねて描かれている
ここに
映像的なセンスを感じた

この導入の映像だけで言いたいことが伝わってきた
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 性衝動と暴力衝動が内側にあって、ヒーロー願望満たすために見えない敵と戦って、全力で間違った方向に行っちゃう

でも現実無視して信じたいこと信じれてるから、社会的に終わってるけど幸せじゃん(笑)

 

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この映画、最後に主人公がヒーローになっちゃうのが日本とは違う

一神教というのは神を外在化するから、悪い方に出ると、自分ではなく社会や他人が間違っていると信じて加害者になりやすい

 

仏教なら何か起きた時に自分の責任にする、つまり神が内在化されてる
だから逆に、例えば日本人が主人公ならテロに行かず、自殺するはず

でも仏教にしろキリスト教にしろ、神というのは結局人間のこと


しかし、どちらがいいという話ではない
こういう発想を生み出す社会に興味がある
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欧米社会が神を外側に持ってくるのは、世の中の事件でも謎解きでも、唯一絶対の客観的真実がどこかにあると信じていて、それを突き止められると本人は考えてるからで、その真実
を知っているのは唯一神だという考え方にもとづいている

そして真実を突き止めたと信じれた人は、自分が神と一体になってしまう。だからジョン・コルトレーンやジョン・レノンのような『
神の啓示』という発言が生まれる。この映画の主人公もそうだろう

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また、キリスト教に霊魂不滅や最後の審判という考え方があるから、アイデンティティという一貫した変わらない自分が生まれてくる

主人公は自分が変わらないと信じているから、変わらない自分は悪くないと思っている
自分に合わない現実が間違っていると考える

 

この映画で感じるのは、やはり日本人の感性ではないということ
けれど日本も徐々にこういう社会に移行してきている
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それにしてもこれほどゆるぎない自我を信じれる人は、日本社会にそれほど多くない

自分はいつも変わり続けるって考えた方が、一見無責任だけど本人は楽だ
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トラヴィスが鏡に向かって
『You talkin’ to me?』
と言うシーンがありますね


こういうセリフを聞くと欧米社会には、自分は常に同じで居続けなければいけない、という信仰を感じる

『変化するどれもがあなただよ、だから自分を捉えようとしなくていい』

釈迦ならトラヴィスにそう話しかけるんじゃないだろうか