老荘と儒教/ 合気会と養神館

 

合気道の思想を考える上で

 

儒教思想と老荘思想の関係性というのは非常に興味深いです

 

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 儒教思想において孔子は

 

人間の死を含めた自然現象について語りません

 

人間がわからない点にはなるべく言及しない

 

これは儒教的合理主義と言われています

 

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『怪力乱神を語らず』

 

『いまだ生を知らず、いずくんぞ死を知らん』

 

“理性で説明できないことは語らない”

 

“生きていることもわからないのに、死後のことについてなおさらわからない”

 

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孔子は人間社会の生活圏内に限って言及しています

 

例えば

 

『親孝行』『自分磨き』

 

『他人に親切にしましょう』

 

『同姓を娶らず』『先祖祭祀』

 

というような日常の現実的な内容ですね

 

なぜなら儒教は

人間社会を管理するための生活の法だから

 

 

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一方で老荘思想は自然に対する言及がたくさんあります

 

『無為自然』『万物斉同』

 

『斉死生』『上善如水』

 

 

というか自分には内容の真意がよくわからない

 

それは人間が管理できないレベルのものについて語っている

 

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自然とは自然現象や人間の生老病死などの生理現象を含めた一切のもの

 

つまり老荘思想というのは

 

個人が自然の中で

 

その自然つまり得体の知れないものと

 

どのように関わっていくかについて話している

 

だから難解になっている

 

 

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そしてこの二つの思想哲学は

 

どちらが大事で、どちらが重要でないという問題ではなくて

 

どちらも人間にとって不可欠だと思います

 

 それどころか両者の関係は対蹠しあっていて

 

補完しあう関係にある

 

 農村部では主に老荘、都市部では儒教

 

中国社会ではこのふたつのバランスで歴史がつくられてきた 

 

 

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人間社会で暮らすには孔子の儒教思想

 

一方で人は自然とも同時に関わっていかなければならない

 

人はわからないものとも付き合っていかなければならない 

 

 

そうすると老荘、、

 

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これを合気道の世界でみたときに

 

養神館を儒教的だとすれば、合気会は老荘的だと思います

 

もっというと塩田剛三先生は非常に近代合理主義思想の影響を受けていた

 

一方で植芝盛平先生は老荘寄りの人だった

 

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これらが生まれた土壌には共通点があります 

 

老荘思想と植芝盛平の思想は自然で育まれ

 

儒教思想と塩田剛三の思想は都市部で定着した

 

老荘は自然が相手で、儒教は人間を相手にした思想

 

そして自然空間と都市空間で定着する思想は違っていて

それぞれはお互いに対蹠しあうことで

 

社会でバランスを保っているのではないでしょうか

 

 


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