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『ソナチネ』(1993)

個人だけで行き詰まった時、これ以上やることがない時

気がつくと『ソナチネ』を観ている時がある


人は何か自分の価値観を守りたい、外の世界を嫌がる


一方で外の世界に出たまま帰れなくなる人もいる


そんな時に童心に蘇らせるこの作品は衝撃力をもつ


全体性へ還すから
 
個人でやれる事やりきったら環境に身を委ねて個を手放す


全体性に入って頭を空にしてリセットし、個人で再スタートを切る


そして全体へ還り個人で旅する循環

この映画はそういう気分にいいかもしれない

ロシアンルーレットのビートたけしは忘我している



こういう眼って脱法の眼

相手をみているけど見ていない、感覚麻痺の眼

自分は生きている価値がない

自分の代わりはいくらでもいる

理性を超えた感覚で生きている人がこういう眼になる
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 自分は特別じゃないよ

命に価値なんてないよ

 かけがえのないものなんてないんだよ

 あなたも私も同じ、死んだら一緒だよ

 個人がどんなに頑張っても結局死ぬんだよ

 人と関わらずにいられないんだよ

 でも死ぬときはひとりだよ
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そう聞こえてくる

この映画には境界がない

自分と他人の境界が曖昧

関わりあっている人すべてがネットワーク

私はあなた、あなたは私、みんなつながっている

生と死に境界がない

夢と現実にも境界がない

不眠症の映画

はっきりしないことを受け入れている
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無神論の匂いがする


全体性への回帰


結末が決まっている、全てが必然

流れに抗ってない、決意もあるが自然な決意

未来に流れがあるのを風に受け止めて流している

全体性に気づいている、対立してるようでしていない
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この時期のビートたけしって生きている感じがしない

半分死んだ感覚の人間ってなぜかイメージが流入してきやすい

ソナチネのビートたけしは意図しないで時代を超えている